後楽園は貞享3年(1686)に備前藩主池田綱政が家臣津田永忠に命じ、14年の歳月を費やして元・P3年 (1700)に完成したものです。完成後は池田家で使用していましたが明治17年(1884)に岡山県の所有となり一般に開放されました。
園の名称は、亭を主とすれば茶屋屋敷、園を主とすれば後園と呼ばれましたが、明治4年(1871)名実共にふさわしい後楽園と改められました。